【釣具に歴史あり】アブ・ガルシア編 第2回

釣具に歴史あり。全4回でお伝えするアブ・ガルシア編。 取材にはピュア・フィッシング・ジャパン (以下PFJ)の製品開発に尽力されてきた立原氏、PFJ商品開発の中枢を支える石川氏、という豪華メンバーにご協力いただきました。 第2回のテーマはずばり「アンバサダー」。今回も長年にわたりアブ・ガルシアの開発に携わってきた立原氏にお話を伺います。

どのようにして名器「アンバサダー」が誕生したのか?なぜ日本で人気リールに上り詰めたのか?その理由に迫ります。

【前回の記事はこちら】
第1回「すべての起源、アブ社の創立」

【アブ・ガルシア編:第2回】伝説的リール・アンバサダーの登場

― 現在も根強いファンを持つアンバサダー。その誕生の経緯とは? ―

ツリグラ編集部(以下 編) :当時のRECORD※ の人気はどうだったのでしょうか?
※アブ社が初めて製造したリール。詳しくはシリーズ第1回にて。

立原氏:高品質、高性能であったRECORDは生産数を順調に伸ばしていきました。しかし第二次世界大戦の終戦に伴い、アメリカ製のリールが再び大量にスウェーデンに輸入されようとしていました。この事にアブ社は危機感を募らせます。

編:次の柱となるブランドが必要だったのですね。

立原氏:そこで1952年に発売されたのが、「RECORD Ambassadeur 5000」です。

編:ついにアンバサダー登場ですか!始めは「RECORD」のブランド名がついていたんですね。

立原氏:しかし当時のミッチェルリールのアメリカ代理店だった「ガルシア社」にアンバサダーを最初に売り込みに行った時は「ABU Reflex」などのルアーだけ買われたとか 笑

編:なるほど 笑。始めはそう簡単にはいかなかったのですね。何か有名になるようなきっかけがあったのでしょうか?

立原氏:アンバサダーがアメリカ市場で注目を浴びたのは1954年、シカゴで開かれた国際的な釣具の展示会※ がきっかけでした。アブのイエテ・ボーストラム社長が自らアンバサダーを展示会会場の外でキャストのデモンストレーションをしていたそうです。かなりインパクトが強かったようですよ。「なんだあのベイトリールは?」と。
※その後のAFTMA Show(アフトマショー)の前身となる展示会、現在のICAST。

編:やはり当時のアメリカ製リールよりも性能的にもアンバサダーが優っていたのでしょうか?

立原氏:当時ではやはり最高峰のリールでした。技術面では、遠心力ブレーキ、ブロンズベアリング(ブッシング)、フリースプール、さらにレベルワインドが付いていました。これらの機能がすべて搭載されていたのは当時ではアンバサダーだけです。かつ、フレッシュウォーター用小型ベイトリールとして初のスターホイールのドラグシステムを搭載しています。加えてデザインも特徴的でした。当時主流だった真鍮製のサイドプレートに対して、アンバサダーは赤いアルマイト処理を施したアルミニウム製のサイドプレートです。このカラーリングも釣り人の目を引いたようです。レザーケース入り、グリスやスペアパーツキット付きで、当時米国で約$45の価格は世界で最も高価なベイトキャスティングリールでした。

編:機能もデザインも世界最先端だったということですね。

立原氏:こうしてアメリカのバスフィッシャーマンの支持を得たことでアンバサダーは陽の目を見たわけです。その後、アメリカの販路を確保するためにガルシア社を買収。その2年後の1984年に「アブ・ガルシア社」と社名を改めました。

― アブ・ガルシアの名が日本で広まった理由とは? ―

編:日本でアンバサダーの名が広まったのには何かきっかけがあったのでしょうか?

立原氏:理由は諸説あると思います。開高健が「オーパ!」などでアンバサダーを愛用していた事もありますが、僕は「ノリさん」の存在が大きかったと思います※ 。1978年あたりの話です。
※則弘祐 氏・・・独自のトップウォーターゲームを得意とし、黎明期からバスフィッシングを支えた人物

編:いわゆるバスプロの影響でしょうか?

立原氏:JB※ が立ち上がる前の話なので、当時はバスプロの方はいませんでした。それでもバサーに影響力を持つアングラーの存在は大きかったです。その方々に圧倒的に支持されたのがアンバサダーでした。
※日本バスプロ協会。1985年に設立され、各地でバストーナメントを開催している。

編:なるほど。そのアンバサダーの支持者の1人が則さんだったのですね。

立原氏:当時の日本のバスフィッシングはトップウォーター全盛期でした。スローテーパーのロッドでへドンのザラを投げ、波紋が消えるまで待ってワンアクション、また波紋が消えるまで待って・・・といった悠長な釣りが全盛の時代です 笑
僕は、日本での第1次バスブームはおそらくその頃だと思っています。

編:ちなみにそれ以外にもターニングポイントとなった出来事があったのでしょうか?

立原氏:やはり大きかったのはアンバサダーの1500Cと2500Cの登場ですね。トップウォーターの釣りでは5000番がピッタリでしたが、日本人の小さな手にも馴染む1500Cと2500Cの番手はやはり人気となりました。

編:釣りの幅が広がったわけですね。

立原氏:今では当たり前ですが、軽いルアーをピッチングで投げることができるようになりました。1500C/2500Cの小径スプールの為せる技です。この頃からロープロファイルモデル※ がスタートしました。ロープロとは言っても、今のリールと比べたら一回り大きいですけどね 笑
※パーミングしやすい形状の丸型以外のベイトリール

編:確かに大きいですね・・・。

立原氏:もう1つ火付け役となったのは、シグネチャーモデル(プロが監修したモデル)の存在です。特に1995年に発売された今江克隆氏モデル「アンバサダー 4600C RD IMAE」は大ヒットしました。ベアリングにグリスではなく粘性の低いサラッとしたオイルを塗ることで回転性能を高め「低弾道で飛距離が出せる」リールになりました。 さらに翌年には「アンバサダー 4601C DDL IMAE」を発売。ラバージグ、ワームなどの打ち物系専用の左ハンドルモデルです。これも人気リールとなりました。テキサスリグなどの細かいルアーの操作は利腕の右手でロッドを操作出来る左ハンドルの「4600C DDL IMAE」、巻き物はシッカリと利腕の右手で巻ける右ハンドルの「4601C RD IMAE」というデュアルディールコンセプトを提唱し、それまでほぼ100%右巻きリールだったベイトキャスティングリールに左巻きと言う選択肢を普及させました。さらに今江さんの影響力も相まってアンバサダーの名は日本全国に轟いたわけです。

——— ついに日本でブレイクしたアブ・ガルシアのアンバサダー。歴史の重さを感じます。次回は現在も脈々と受け継がれている「アブ・ガルシアの開発の意思」に迫ります ———

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