【釣具に歴史あり】ヤマリア編 第1回「エギング黎明期とヤマリアの歩み」

特集:釣具に歴史ありとは?

釣具に歴史あり。数多ある釣具の歴史を紐解いていくシリーズ企画です。いかにして現代の釣具は形作られてきたのでしょうか?普段の釣行では何気なく使っている釣具。しかしその歴史に触れると、また違った見え方になるかもしれません。

シリーズ2回目のテーマは「ヤマリアとエギ」。ヤマリアと言えば「ヤマシタ・マリア」の2大ブランドを持ち、エギングやソルトルアーフィッシングの経験がある方ならご存知のメーカーですよね。本シリーズではヤマシタのエギブランドである「エギ王」に迫ります。

日本古来の漁具として生まれたエギ。伝統深いエギの歴史の中で、ヤマリアはどのようにして日本のエギ文化と関わってきたのでしょうか?

開発部 研究チーム 森さん・マーケティング部 エギG マネージャー天野さんのお2人にインタビューします!

【シリーズ記事はこちら】
第2回 エギ王の登場!ヤマシタの開発哲学に迫る

ヤマリア:森さん

開発部研究チームに所属。日々「釣れるエギとは何か?」を考え、ヤマシタのエギ開発に尽力している。

ヤマリア:天野さん

マーケティング部エギグループマネージャー。ヤマシタのエギをプロデュースしている。


ヤマリアの原点

ツリグラ編集部(以下 編):ヤマシタと言えばエギンガーなら必ず知っている名前だと思います。まずは会社の歴史から教えていただけますか?

森さん:遡ると長くなりますが、1941年(昭和16年)に当時マグロ漁師だった山下楠太郎が神奈川県三浦市の三崎町に会社を設立したのが始まりです。「山下釣具店」という名前で漁師へ向けて「漁具」を販売していました。楠太郎の兄弟が海上で遭難した時に、仕掛に引っかかっていた赤い布でマグロを釣り上げた経験で「疑似餌でも魚は釣れる!」と確信したのが創業のきっかけです。

編:かなりインパクトのある話ですね 笑

森さん:でもこの話、実話らしいですよ 笑。会社の原点となる疑似餌は「タコベイト」です。トローリングでマグロを狙う漁具で、当時の発売から現在まで「ゴールデンベイト」ブランドで販売しています。

編:立上げ時は「漁具メーカー」としてスタートしたわけですね。

森さん:実は遊漁向け商品を販売し始めたのは、1990年くらいと近年の話になります。


エギの歴史

編:なんとなくエギの歴史が深いことは分かりますが、実際どれくらい前に生まれた漁具なのでしょうか?

森さん:それを語りだすと古くなりますよ~笑。なんせ生まれて約300年以上と言われていますからね。

日本最古に近いエギ(「 薩摩烏賊餌木考 」より抜粋)
著:岡田喜一 出版:(株)内田老鶴圃
中にはより魚に近い形状のものも

編:300年!江戸、いや戦国時代・・・?

森さん:昔は殿様の遊びとしてエギでイカを釣っていたくらいなので、歴史は相当ありますね 笑。現在は布をボディに巻いていますが、昔は焼き色を付けていました。

編:エギ発祥の地はどこなのでしょうか?

森さん:発祥は薩摩藩(鹿児島県)と言われています。その薩摩から出航したカツオ・マグロ船に乗って、漁師町である「高知・御前崎・館山・三浦」あたりにはエギの作り方が伝わってきたそうです。海がシケて漁にならない日に漁師は、港で木を削って作っていたらしいです。

編:作り手が1つ1つ作り上げるハンドメイドの世界だったのですね。

森さん:各漁師町にはエギの作り手がいて、人によっては形状が違いました。もっと言えば地域特有の形状がありますね。

O型(大分)、M型(宮崎)、YAEYAMA型(八重山諸島)などにタイプが分かれる。A型のみ鹿児島のイカ釣り名人「青野」さんが由来となっている。
近代に近い宮崎のエギ

編:ボディの柄は今ではあまり見ない模様がありますね。昔のカラーの流行なども反映されていたのでしょうか?

森さん:昔は古着を切って貼ったりしていたそうなので・・・笑。「この服の柄が良い」というのもあったようですよ。

編:まさかの「当時のファッションがエギに反映されていた」ということですか!「時代を映す漁具」としてみると新鮮ですね 笑


エギの製造を開始

編:エギの販売を始めたのはいつ頃からですか?

天野さん:1969年からエギの生産はやっていました。しかし、この頃はレジャー用ではなく漁師向けの「漁具」としてです。この時点では社外からエギを仕入れて販売していましたね。

編: 自社製品としてエギの開発・生産を始めたのはいつ頃からですか?

天野さん:1981年からです。当時のエギはこのようなかんじでしたね。

自社生産創成期のエギ。
当時は同社ブランドの代名詞「ゴールデンベイト」が名前についていた。
市松模様が印象的。下のエギの柄は現代の模様に近い。

天野さん:この時点で木製ではなく、発泡ウレタン製です。発泡ウレタンはブイなどに使われている素材ですが、それを流用した型での大量生産にトライ・成功しました。

編:発泡ウレタンでの生産メリットはどのような点だったのでしょうか?

天野さん:木よりも誤差が少ない分、製品精度があがりましたね。木製だと水を吸って自重が大きく変わるので。「より良いものが大量に」生産できるようになったわけです。

編:この1980年初め頃から一般の釣り人向けにエギを売り出したのでしょうか?

天野さん:まだですね 笑。前述した商品は「漁具」として扱われていました。漁師さんからの引き合いが多くなった経緯があるので、量産体制を整えたわけです。


エギング黎明期とヤマリアの歩み

編: それでは「エギング」という言葉はどのようにして生まれたのでしょうか?

天野さん:1988年に2代目社長の山下整治(現会長)が「もっとレジャー向けの釣具を販売しよう」と方針転換したのがきっかけです。そこで1989年に生まれたのが「マリア」というブランド。ソルトルアーという釣りジャンルがまだまだ流行する前でしたが、オフショアのシイラやシーバス向けのルアーをマリアブランドから打ち出していきました。その取り組みの1つとして「エギ」を一般釣り人向けに提案したわけです。

森さん:他ジャンルの釣りをならって、当時はジョイントタイプのエギも制作していました。

見た目はまさに「ルアー」

編:「エギング」という言葉もその中で生まれたのでしょうか?

天野さん:一目で釣り人に覚えてもらうために「餌木ing」という言葉を作ったのがスタートでした。当時盛んだったバスフィッシングは「バッシング(BASSING)」と呼ばれていたので、餌木でもingを付けてキャッチーな表現で広めていこうとしたわけです。

編:何か具体的に告知を打ったのでしょうか?

天野さん:釣り雑誌の「月刊フィッシング(廣済堂)」さんと組んで普及させていったのが始まりですね。「こういう釣りがあるよ」と新しい提案をするかんじで。しかし、当時のタックルは10フィート以上のシーバスロッドに14~16ポンドのナイロンラインというセッティングでなかなか・・・笑

編:ナイロンライン・・・アクションさせるのに苦労しそうな・・・。

天野さん:当時は「エギを上げて落とす釣り」でしたね 笑。しかし「シャクリ釣り」とは別に「巻きの釣り」の2つの釣り方ができたので、何とか釣りとして成立していました。当時の漁師さんも夜の漁ではトローリングのようにエギを引いて釣っていたくらいですからね。当時はエギング用の竿も販売していたんですよ。

その名も「ザ・餌木ing」

天野さん:ブランクスは白、グリップは青、というまさに「ヤマシタカラー」でした。振り出し竿だったので、今のエギングロッドのようにシャキッとしたものではありません。よく釣具屋さんで売っている廉価版の万能竿のようなイメージです。

編:時代を感じると言うか・・・。現代エギングでは考えられないようなロッドですね・・・。


「現代エギング」が確立した理由

編:打ち出し直後から「エギング」 という言葉は広まったのでしょうか?

天野さん:すぐには広まりませんでしたね 笑。「餌木ってなに?どういう釣りなんだろ?」という捉えられ方だったと思います。漁師さんが使っている餌木は沈むスピードが速く、根掛かりが多発する問題もありました。なので、よりゆっくり沈ませるためオモリの大きさを変えるなど苦労したところもあります・・・。

編:となると、何かエギングが広まるきっかけがあったのでしょうか?

天野さん:ずばり「細いPEラインの登場」です。それが1990年代後半ですね。「飛距離が伸びた」という恩恵もありましたが、エギングの肝でもある「シャクリでのアクションが付けやすくなった」というのがやはり大きいです。PEラインを使うと、今まで釣れないと思っていた地域でもイカが群れてくるといったこともありましたね。

編:かなり現代のエギングに近づいたのですね。

天野さん:もう1つの恩恵としては、デイ(昼)の釣りが確立したことです。それまではイカ釣り=夜釣りというのが当たり前でした。「エギをしっかりアクションさせて見えているイカを釣る」というのがやはりウケましたね。イカ釣りにサイトフィッシングの要素が加わり、夜も昼もイカ釣りができるようになりました。

森さん:タックルもバスロッドを流用できるので、大阪・京都あたりのバサーの方からするとエギさえあれば釣りに行ける環境でした。同時期に1,000円程でエギを買えるようになったので、より「身近な釣り」になったわけです。

——— 漁具メーカーから始まり、レジャーとしてのイカ釣り=「エギング」を普及させてきたヤマリア。独自の創意工夫を重ねながら、現代に近いエギングを確立していきました。 ———


<第2回:エギ王の登場!ヤマシタの開発哲学とは?>へ続く・・・